映画

2010/08/09

借りぐらしのアリエッティ@TOHOシネマズ梅田

若干ネタばれ含みます。

この映画の面白みの大部分は小人から見た世界、その視覚的なところにあるのは間違いない。『借り』の一連の過程や虫の動き、水滴の表面張力の感じまたローリエの葉一枚で一年持つと言うような会話はそれだけで面白い。私たちは比較的巨大なものからの視点や俯瞰的な図に慣れているので逆に新鮮ですらあるのだろうと思う。
それがまぁ一番の面白みとはいえ脚本も悪くは無い。アリエッティと翔の関係、アリエッティ一家が引っ越すか否か、ハルさんの野望(?)、翔の心臓病などが連関を形成し、物語の終局で解決されていくのは例えば『崖の上のポニョ』と比較するとプロットは小奇麗にまとまっている。ポニョの場合世界の破滅-救済と愛の成就-不成就が二項対立的に対応しており、当然「ポニョ、世界が壊れても俺はお前を愛す」などと言う熱い展開は期待できないので、物語中盤で物語構造がほぼ描かれた時点でその解決が見えてしまい面白みにかけていたように思う。セガールが主人公のホラーみたいなものでいや、絶対助かるでしょ!と言う感じでどきどきしないのだ。

物語の要素の中で軽いように見えて意外に重要なのは、翔の心臓病だ。ハウルなどでもそうだけれど、心臓は感情の記号だ。心臓が欠落していたり傷があったりすることはどこか感情が欠落していることになるのだ。そもそも本人を目の前にして「君たち滅びちゃうんだよね」とか言っちゃうあたりかなりのKY臭を漂わせている。ただアリエッティとの交感を通じ病を埋め合わせることになる。だから翔の心臓の手術は成功するだろう。

声の演技は悪くなかったようにも思う。声優の演技はやや誇張されすぎているきらいがあるので俳優を使うこと自体は問題ない。棒読みというと表現が良くないので抑制された演技と言うけれど、それ自体は悪いことではない。武の映画やフランス映画などはよく抑制されている。反面こんなときに無表情で棒読みされたらたまったものではないので、映画にそれぞれ当てはまっているかどうかが問題なのだ。そういった意味で翔役の棒読みは方向性としては合っている。動のアリエッティと静の翔といった対比もあり、そもそも翔自体感情欠落者だからだ。ただいささか抑圧されすぎている感があった。正直なところ違和感を感じてしまうレベルの棒読みで、もう少し内面を演技に乗せても良かったように思う。

音楽はとても良かった。ただそれ以上に音響が丁寧だった。スタジオジブリの映画は音響が妙に悪いというか、音数が足りていなかったりしょっぱい音声を当てていたりと、それはもうラピュタの頃からポニョに至るまで弱点だった気がするけれど、ようやく映画としては並になった気がする。今後もこうであってくれれば安心するんだけれど。

2010/05/24

アリス・イン・ワンダーランド

@TOHOシネマズ梅田

良くない。殆どが宜しくない。いくつか見れるショットがあったり赤の女王の表情が良かったものの、駄作だと思う。

まず物語が早期に決着がついている。現実でアリスは突然結婚を申し込まれ、これに困惑し逐電する。この結婚の諾否は物語のほかの要素と殆ど関連付けられていない。そもそも突然すぎて受け入れる余地がないので断るであろう。またワンダーランドでは予言によりジャバウォッキーとかいう奴を倒すことになっている。倒さない、倒せない理由は、残念ながら無い。このように物語がはやばやと決着してしまったら観客はアトラクトされない。これに比べれば『崖の上のポニョ』なんてましで、恋の成立=世界の救済(恋の不成立=カタストロフ)に加え親の禁止とか複数の要素で物語が構造化されているのでまだ観れる。

心情の表象も甘い。結婚を断ることとジャバウォッキーに立ち向かうことが(何故か)同一視される。それを決定付けるのはアリスの内面の変化しか存在せず、その変化は芋虫に諭されたから・・・では説得力に欠ける。芋虫は無かったことにして内面の変化は単にクロースアップで処理した方がまだマシだったとすら言える感じがする。とはいえ何とか処理しようと結婚の申し込みの場面とジャバウォッキーを倒して欲しいと依頼される場面で同一の構図を採用しているあたりは、スタッフの労苦が垣間見えて涙を誘う。

他にも色々いちゃもんつけたい部分はある。道は自分で開くとか行っておきながら予言道理にジャバウォッキー倒しちゃうとか。ワンダーワンドは現実の世界だった、とかもやめて欲しい。穴に落ちるというのは眠りに落ちることの暗喩なのだから。現実だったとしたいなら穴に落ちずに違う方法で導入部分を処理するべきだった。

総じて言えば主要な要素の連関の強度が非常に弱い上にとってつけたような要素ばかりが目に付いてしまう。A級戦犯は脚本家じゃないだろうか

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